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あの小室哲哉プロデューサーが個人投資家から約5億円をだまし取った疑いで逮捕されるそうだ。

1990年代にはglobeや華原朋美、安室奈美恵など、名だたる歌手たちをプロデュースし、ことごとくミリオンヒットを飛ばし、年収20億円を超えていたのに。
【長者番付に名前を連ねたあの勢いはいったいどうなったのだろう。】

逮捕容疑は、個人投資家にすでに権利がない著作権譲渡で契約を結び、前借した5億円を返還しなかった容疑だそうだ。「元妻に離婚慰謝料7億円を請求されて著作権使用料が差押さえられている」ので、「差押さえ解除に必要な5億円を先払いして欲しい」と頼み込み、投資家は先に5億円を振り込んだ。
しかし、その著作権の一部はすでにレコード会社「エイベックス・エンタテインメント」にあることが判明したことから、だまされたとして、投資家が詐欺罪で大阪地検に告訴したそうだ。

かって、日本はおろか世界でも成功を収めていたのに、香港での事業に失敗して70億円の負債をこさえてしまったそうだ。
【稼ぐのもすごいけど、借金もはんぱでなくすごいねぇ。普通の人間にはそんな借金もできないよねぇ。】

それにここ最近は、泣かず飛ばずでろくにヒットもないし、結婚しては離婚と公私共に災難続き。7億円とも言われる慰謝料の支払いも滞り勝ちになっていたそうだ。豪邸や、高級車も売り飛ばして、かつては目もくれなかったバラエティ番組にまで出演していたそうだけど、それでも追いつかなかったみたいだ。

【最近、顔も、声も聞かないなと思っていたが、ここまでひどい状況になっていたとはねぇ。】
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吉永小百合さん主演の「まぼろしの邪馬台国」(監督堤幸彦)が11月1日公開され、東京丸の内東映で舞台挨拶をした時のこと。

この映画は盲目の文学者、宮崎康平氏と和子夫人の夫婦愛を描いたヒューマンドラマ。
宮崎康平さんは島原鉄道の役員でありながら、バナナ農園の経営もしていた。
それにちなみ、舞台挨拶で吉永さんが、大きな箱にバナナを入れ、中から竹中が出てきた瞬間、
「そんなバナナっ!」と小百合さんがオヤジギャグをかましたそうだ。

サユリストにはどう映ったのかなぁ。
でも、吉永さんが自分でするならなんでもOKなんだろうね。

なお、吉永さんは大の西武ファンだそうだが、舞台挨拶の後半に西武の日本一と
映画のヒットを祈念して、ティーバッティングに挑戦し、緑色の太いバットで後部席まで
見事なアーチをかけたそうだ。
結果は、初日西武が勝ったので、気持ちのいい公開スタートになった。

 「有楽町で逢いましょう」「君恋し」「おまえに」などのヒット曲で有名な歌手のフランク永井さんが
10月27日、都内の自宅で亡くなったそうだ。

永井さんは1985年に自殺未遂で、後遺症から療養しており、その頃から、
すっかり表舞台に出てくることはなかった。

今年の夏、風邪をこじらせて入院し、体調がもどらないま亡くなった。
高度経済成長の日本に活気を与えた国民的歌手がまた逝ってしまった。
葬儀・告別式は密葬で親族、一部の関係者のみで行われたそうだ。

管理人も全盛期のフランク永井さんのことは知りませんが、魅力のある低音で紅白で歌っている姿は何度か見たことがあります。

永井さんは米軍キャンプのクラブ歌手を経て1954年に日本ビクターと契約。
デビュー曲は「恋人よわれに帰れ」で、当時はジャズ楽曲だったが、
歌手の故ディック・ミネさんや作曲家の故吉田正さんと出会い、ムード歌謡に転身した。

1957年、「有楽町で逢いましょう」が大ヒットし、低音ブームを巻き起こした。
1959年には松尾和子さん(故人)とデュエットした「東京ナイト・クラブ」が大ヒット。
デュエット曲の定番として今も歌われている。

1961年には「君恋し」で日本レコード大賞受賞。1977年には「おまえに」もヒットし、
1957年から26年連続でNHK紅白歌合戦に出場したこともある。

今年7月に東京・有楽町のマリオン前に「有楽町で逢いましょう」の歌碑が建立された。
演歌歌手ジェロ(27)が除幕式で「有楽町で逢いましょう」を熱唱したことは目新しい。


森進一が作詞家の川内さんから歌うことを禁止されていた「おふくろさん」が、川内さんの遺族と和解して
歌えるようになったそうだ。

双方の関係者も立ち会って、和解ができたそうだが、遺族としても名曲が歌われなくなるのよくないということで、和解したそうだ。

でも、川内さんが亡くなってから1年もたっていないので、森進一が紅白に出れたとしても、そこで「おふくろさん」を歌えるかどうかは微妙とのこと。

森進一の「おふくろさん」がまた聴くことができるようになったのはよかったけど、歌うのを禁止したあのせりふは結局どう始末をつけたんだろうね。

「おふくろさん」歌唱禁止騒動

2006年の紅白歌合戦で森進一が川内さんに断りなく、セリフ付きの「おふくろさん」を歌ったことがきっかけで川内さんが歌わせないと騒動がぼっ発。

川内さんが2007年2月に和解の場を設けようとしたが、森進一が体調不良を理由にドタキャンした。
それで川内さんが「絶対に歌わせない」と宣言していた。

その後、森は川内さんや関係者に再び歌いたいとの希望を伝えてきたが、川内さんは拒否。
今年4月に川内さんが慢性呼吸不全のため和解できないまま亡くなった。

タレントのエド・はるみが、自分自身のこれまでの人生を描いたドラマ「恋を捨て夢に駆けた女~エド・はるみ物語~」(11月7日19時57分~、関西系)で自分がその役を演じることになったそうだ。

初のドラマ主演となったエド・はるみは、会見の中で

「私の半生だなんて、おこがましいし恥ずかしいけど、業務命令ですし、ありがたくやらせていただきます」、

「私の本をベースにメイキングゥ~してくださった。そこを楽しく演じている」

「懐かしかったし、さらにまた頑張ろうという気持ちになった」

と意気込みを見せたそうだ。

なお、会見には恋人役の西村和彦も同席していて、西村が

「一緒に歩くシーンの撮影でエドさんの手を握ったら、あったかかった」

と明かすと、エドが

「芸の道に精進するため(恋愛は)封印しています。でも、手をつなぐっていいですね」

と、顔を赤らめる一幕もあったそうな。

ドラマは9月に発刊した自伝的エッセー「成人式は二度終えております」がベースとなっている。

女優を志しながらパソコンやマナーの講師、舞台女優を経て、心機一転して芸人デビューした後、
「メイキングゥ~」でブレークしたエド・はるみの軌跡をコミカルに描いているとのこと。

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